google-site-verification: google0d9076928c785236.html

大阪暮らし ぼちぼちいこか

大阪に住み始めて7年めのきーちゃんが綴る大阪での日々のことあれこれです。

大阪歴史博物館 常設展示その2(8階 7階)

大阪歴史博物館を見学してきました。

www.mus-his.city.osaka.jp

 

 10階、9階はコチラ 

www.osakagurasi.com

 8階 考古学体験する?

 

 さて、さらにエスカレーターを下りて8階へ。ここには考古学のワークショップが設けられています。

 床には地面が再現されていて、発掘していく様子が見れます。発掘中の溝には和同開珎?コインが埋もれています。そして土器の修復パズルやなんかがあって、小学生のお子さんたちには実際に、手を動かせる、楽しいところなのではないでしょうか。

 

 この階には特集展示として、8月21日から10月14日まで『商都大阪の文化力』として大阪商業大学との共同展示になっていました。この階は写真撮影禁止でしたので、リーフレットから説明しますね。

1経済力と文化

 大阪の町は豊臣秀吉の大阪城築城で城下町がつくられ、整備されます。その後時代が流れて徳川政権下で船による物流と、その拠点としての蔵屋敷の整備により経済都市として発展しました。

 経済都市としての繁栄で町人文化や学芸を花開かせる基盤ができました。町人として酒造業や米屋を営みながら、書画をたしなんだり、書籍、地図、書画骨董、鉱物標本などを収集したりと、大坂は経済一辺倒ではありませんでした。

2サロン蔵屋敷

 江戸時代、西国諸藩を中心に全国の大名が水運の便がよい場所に蔵屋敷を設けました。諸藩の年貢米や特産品の売却拠点で、大坂が「天下の台所」と呼ばれたのもそれ故でした。

 蔵屋敷に勤務した役人は人脈を生かし、国元、大坂、幕府の情報を収集管理して資金の調達を行っていましたが、蔵元や掛屋を務めた大商人が、その経済力から士分を与えらえて実質的な経営も商人の手に移っていきました。

 蔵屋敷は参勤交代途上の宿泊施設でもあり、文化サロンでもあり、また、広島藩の厳島神社、久留米藩の水天宮のように祭礼の場として一般人も呼び込む場所にもなりました。蔵屋敷はもの、人、情報が集まる場所だったのです。

3大阪人気質

  洋の東西を問わず、経済的な繁栄があり、少し遅れて文化の勃興期がやってきます。

 オランダの歴史家『ヨハン・ホイジンガ』は人間の文化は遊びとして発生したとして、人間の本質を『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』と定義しました。このオランダ人のホイジンガの思想はオランダ商人たちの繁栄と文化の継承から生まれて来たのではないかとし、現在の大阪人の自由闊達さや遊びを好む傾向も、こういった時代の素養を引き継ぐものといえるかもしれないと案内には書いてあります。

 なるほど、この大阪の歴史から、脈々と受け継がれている大阪人の気質を読み解くことができるのですね。

 案内チラシには当時の遊びが紹介されています。

貝覆いの道具、とてつるけんひとりけいこの浮世絵、投扇興の道具、拳会角力図会の解説書の写真の載ったチラシ

 

 さあ、8階からも7階の吹き抜け部分から見えていたワクワクしそうな昭和初期の大阪の町へ行きたいと思います。

7階 大大阪(だいおおさか)の時代

 大大阪(だいおおさか)って知ってました?私は知りませんでした。

 大阪は第6代市長池上四郎の時代、関東大震災のあとの被災者の一部の流入や、周辺の町村を合併して面積、人口ともに日本一の大都市になります。

 天下の台所と称された近世以来の豊かな経済地盤を活かして、商業・紡績・鉄鋼などあらゆる産業が栄え、文化・芸術・産業の中心として近代建築が華開く、華やかで活気にあふれた黄金時代だったそうです。

 都市計画学者でもあった第7代関一大阪市長のときに繁栄はピークを迎えますが、繁栄の裏で同時進行にあった第一次世界大戦後の恐慌や昭和恐慌では、繊維や金属産業が大打撃を受け衰退し、さらに、戦争への時代へと向かう中、統制経済等の政策により、東京に対し大阪の相対的地位は次第に低下してしまいました。

 7階はそんな大阪の黄金期『大大阪』の時代の街を再現した作りになっています。

公衆電話ボックス

 おしゃれなレトロ公衆電話

町工場で働く様子を再現した人形

 町工場ではたらくおじさんたち。ここは金属の抜型を作るところでした。

女性の人形が室内で裁縫をしている

 都市部の町家

玄関に来客と子どものマネキン

 郊外型の家。ここは玄関。立っているのは帰って来たお父さんでしょうか?それともお客さん?

応接室で火鉢の手入れをする女性のマネキン

 ここは応接間。ちょっとお金持ちの家かな?昔はソファに白いカバーって定番でしたね。

大きなネオン看板、洋品店、街を歩く人のマネキン

 ちょっと暗いけど街の様子。光っているネオンは心斎橋の広告です。

 さて、展示は商店街の様子を。

洋品店を覗く親子のマネキン、奥に八百屋と魚屋

右の親子は洋品店をのぞいています。

向こうにチラッと見えるのが八百屋さん。八百屋さんと魚屋さんは、写真を撮ったつもりだったのですが撮れていませんでした。

 

 

再現された歌舞伎座入口

  歌舞伎座。子どもがはしゃいでいて、お母さんが追おうとしています。

 

 7階は実寸大で作られていて、人形が白塗りなのが、ちょっと不気味でした。夜警の人怖いだろうな。

 

 そんなこんなで大阪歴史博物館を堪能したつもりだったのですが、実は地下1階に『難波宮遺跡探訪』の展示があって、博物館の敷地にある古代の宮殿跡の遺構を発掘調査で掘り出したままの状態で見ることができたんです!

 全然、気づかずに「浮世絵ねこの世界展」を見て帰ってきてしまいました。これはもう一度行かねばなりますまい。

 大阪にお越しの際はぜひ見学をお勧めします。大阪の歴史がよくわかりますし、大阪城を見下ろすこともできます。オススメです。