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大阪暮らし ぼちぼちいこか

大阪に住み始めて7年めのきーちゃんが綴る大阪での日々のことあれこれです。

介護のはなし2 どうすればいいのか悩みつつ動く

 

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なぜだか離婚話 

 約1週間が経って、明日包括支援センターのひとが来てくれる前の夜、仕事から帰って来たぽーさんにその日のお義母さんのことを報告していると、何が彼を怒らせたのか、突然「離婚する!」と言われた。そして「所詮、他人事!」と言われた。「自分が仕事を辞めて介護する!」と。

 きょとんとしていると、プンプンしながら寝室へ行ってしまった。

 怒りが、ふつふつと沸いてきた。

 誰が怒鳴られまくって、ぺこぺこと頭下げて、身元引受にサインと押印してきたと思ってるんだ!

 誰が爪水虫の足の爪切ったと!と。

 誰が自分の仕事探しほっぽって、様子を見に行ってると思ってるんだ!

「所詮、他人事」と言われたことに腹が立って、腹がたってしょうがなかった。そして同時に、わかったよ!離婚してやるよ!と離婚してからのことを算段し始めた。

 でも、お義母さんのことや、ぽーさん親子のこれからのことを考えると、もうしばらく、介護のめどがたってからの方がいいだろうとも思った。

 介護認定してもらって、介護計画とか立ててもらって、ぽーさんが一人で介護に困らないようにしてから離婚、が私なりの恩返しかとも思った。

 それは何といっても、ぽーさんには息子や娘のことでずいぶん世話になったから。私たちは再婚同士、私の子どものことは知らんぷりされてもしょうがないのだが、ぽーさんはとても良くしてくれた。

 それに、まがりなりにも、私は介護の勉強もしていたから、ぽーさんよりは詳しいから少しはお役にたてるかもと思った。

 よくある介護離職からのどん詰まり生活におちいって欲しくなかった。テレビとかでそんな話を耳にするたびに、もっと援助の手は無かったのか?もっと周りに助けを求めていれば…と感じていたから。

 そんなことを思ったりしてたのに、いざ、介護の必要な人が出たら、ささいな言動に腹を立てて、じゃあねっ!とほっぽりだすのか?そんなことはできない、と謎の正義感にかられてしまった。

 

包括支援センターとの面談

 2~3日後、包括支援センターのひとが来てくれて、ぽーさんも一緒に面談した。

私たちが離婚予定ということは黙っておくことになった。

 包括支援センターの職員さんにこれまでの経緯を話して、なるほど、それではできるだけ早く手続きを進めましょうということになった。

 お義母さんは頭髪こそべったりと汚れた感じはするが、受け答えはそつない感じでこなしていく。耳は遠いが、買い物も少し距離のあるスーパーまで行くし、料理も自分でしているという。ごはんは炊いて、残れば冷凍しているというし、健康のために野菜も毎日食べているという。朝はプチトマトに黄粉牛乳を飲んでいるという。

 お風呂は毎日シャワーを浴びていてる、一人暮らしだから洗濯は3日に一回という・・・。私がお義母さんから聞いている内容と同じ。

 

 散らかっていない部屋を見て、この話を普通に聞いていれば、全然普通の生活ができているように思えるが、実際は炊飯器は見当たらない、ぽーさんが以前持って行ったお米の袋は未開封のまま(この時初めてお米が手つかずなのにぽーさんは気づいたよう)、冷蔵庫はのぞかせてくれないし、洗面所にも入るなという。洗濯も干されてるのを私が知る限りでは一度もない。

 そういった私の観察からの補足がなければ、介護なんて必要なく思えるだろう。

 だからぽーさんもひょっとしたら、私の報告を信じていなかったのかもしれない。ぽーさんは月に1回お義母さんのところへ通っていたけど、出かけてから帰るまでの時間を考えると、やはり、10分程度とかで会話もほとんどなかったのではなかろうか。

 男の人だし、流しのドロドロ具合も気づいてなかったのかもしれない。

 しかし、話が息子のぽーさんのことになったときに、ぽーさんが首をかしげる。

 ぽーさんもお義母さんの話がおかしいと思ったようだ。ぽーさんは大学を出ているのに、高校卒業して大手企業に採用されたとか、ぽーさん関連のママ友との交流の話とか、事実とは違うことをすらすらと話している。

 ぽーさんが支援センターの人に「あの話は違います、勘違いしてるのかなぁ」と伝えると、支援センターのひとはうなづきながら「作話ってやつですね」と言っていた。

 やっぱり、息子は認めたくなかったのかな。

 ぽーさんに以前、早めに介護認定を受けておけば?と勧めた時に「まだ部屋が片付いているうちは大丈夫!」と言っていた。

 たしかに、部屋は片付いている、というか物が無い。包括支援センターの人が生活感があまりありませんねというくらい。

 義母は支援センターの人に「お部屋キレイにされてますね」と褒められるとものすごく嬉しそうに「おほほほほ」と笑うのだったが、後にそれは物が無いだけだということがわかったし、料理の話も「作話」の部分が多かった。

 たしか、この時点でお義母さんのところへ通い始めて1週間くらいだったと思うけど、私はとりあえず、また警察沙汰になるようなことをしないようにと、そっちにばかり気をとられて、お義母さんの状態を見ていなかった。だから自分がいなくなる夕方から翌朝まで、疲れて寝ていてくれるように、買い物や外出に付き合っていた。

 だから、ご飯が本当に炊けているのかとか、お義母さんの言うことを信じて確認はしていなかった。

 包括支援センターの人は、次は市役所の人間と来ることになりますと言って帰って行った。

 本当のお義母さんはどんなひと?

 お義母さんのことを全然知らない私は、お義母さんの話をまるっと信じるしかないところから始まった。

 「私は人気者で仲良しの友だちと三人娘と言われてたの。そして、可愛い、可愛いと言われてたの。ここに来てからはみんなが物を借りに来るの」

 ぽーさんにお義母さんってどんな人だったの?と聞くけど、帰ってくる返事は知らないばかり。男の人ってそうなのでしょうか?自分の息子のことを考えると親子関係が良くなかったのかなぁ?と勘ぐってしまう。

 今のままの性格の人だったとすると、ものすごく嫌な女性だったことになるのだが、どう考えてもそんなわけないように思える。

 料理はめんどくさい、食事はガツガツ、お茶はゴブゴブ、部屋を掃除するのにクイックルワイパーで掃くといより蹴散らして、老眼の目で見える大きなゴミを拾って終わり。

 コップはドロドロ、スポンジが真っ黒、流しはどろどろ、布巾は真っ黒、換気扇のフィルターは茶色になって油の塊になっている。

 道で声をかけてくれた知り合いの人の悪口を言う、お友達付き合いしてるひとはいないようにみえる。

 杖やシルバーカーを押しているお年寄りをバカにする。

 食事に入ったうどん屋さんで、「これは冷凍うどんよ!」と大声で言う。ここは手打ちうどんのお店ですよ、お義母さん。

 スーパーで棚の奥から物を取り出し(賞味期限?)そのまま放置する、品物を指で押す、手に取ったものを投げるように戻す、店員さんに高慢な態度で指示する。

 これが自分の親なら怒りもできるが、離婚予定のダンナの母となると怒れない。やんわりと止めてくださいと言うことしかできない。

 おそらく、これは認知症の症状なのでは?と思うけれど、診断がおりているわけではないので、それはわからない。

 ひとまず、火事になりそうな真っ茶色の換気扇のフィルターを取り換えた。お義母さんはやらなくていい!と言っていたが、火事になったら怖いですから、他人にも迷惑がかかりますからと言って取り換えた。取り換えると「へーっ!へーっ!」とバカにしたように言っていたが、どうやらこの「へーっ!」は気に入らないとか、そんな時に発する言葉のようだ。

 そしてドロドロのコップを洗おうとしてスポンジが黒いのに気づいて、新しいスポンジを出してもらった。

「このコップは安物だから、1回使っただけでドロドロになるのよ」と言われるが、お義母さん、私は知っている。コップがこんなになるには2~3日洗ってないから、いや、この状態だと4~5日、いや、もっとかもしれないと心の中でつぶやいていた。

病院へ付き添う

 そして、お義母さんに飲んでいる薬の有無を確かめると、有るというし、病院へも通っているという。

 包括支援センターのひとが3年前に尋ねて来たのは、病院に来なくなったので病院から連絡が行って安否を確かめることになったからだった。

お義母さんは「病院へは今、お休みしてるのよ」と言う。

「一緒に行きましょう」と言うと、

「予約しないといけないし、一人で行けるから」という。

「先生にご挨拶したいし、私が予約とります。病院はどこですか?」

「知らない。わからない。T先生。」

「今度いっしょに行きましょう」と伝えて、私が予約をとることにした。できれば実の息子も一緒に話を聞いた方がいいと思うので、ぽーさんが行けそうな日を聞こう、どこの病院かもぽーさんに聞いてみるかと思っていると、次の日に、勝手に一人で病院へ行って、ぽーさんの予定も確かめずに勝手に予約を取って来た。

「会いたいと言うから、予約を取って来てあげたわよ」

 当然、ぽーさんはそんな突然には有休もとれず、付き添えないということで、嫁がついていくことになった。

 そして病院へ付き添っていくと新たな事実がわかった。

 病院は勝手にお休みしていたらしいし、薬も勝手に飲んだり飲まなかったりしていたようだ。

 そして、病院の先生はお義父さんも担当していたらしい。たまたまお義父さんが徘徊していたところを保護してくれたのに、お義母さんは「ほっといてください!」と言い放ったそうだ。それでほっといたら、その後別のところで警察に保護されたらしい。

 お義母さん自身も介護をした人だったのだ。

 

 このころにはお義母さんも落ち着いてきて、最初の1週間に見られたような窓の外をにらんで監視するような行動も見られなくなったので、日参から隔日にお義母さんのところへ行くのを減らすことができるようになっていた。

 

 事が起こったのが5月だから今はもう8月で、今はヘルパーさんが週に2回入ってくれて、私が1回、ぽーさんが1回と、合計週4回は安否確認できている。そうやって、ずいぶん落ち着いてきたからこうしてブログを書けているのだけれど、まだまだ順調に回っているとは言い難く、これからどうなるのかヒヤヒヤな毎日を送っている。

(現在9月半ばで私のお義母さん詣では2週間に1回までになっている)

 

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