十三と波平通、みたらし団子と花ぼた餅
大阪には難読地名が多い
日曜日、午後からお茶でもしようと外出した私とぽーさん。
家を出て、さて、どこでお茶しようかと考えていた私に
「じゅうそう行こうか?」
とぽーさんからの提案。
大阪の『じゅうそう』って知ってます?
『十三』と書いて『じゅうそう』と読みます。
大阪は、よそ者には読めない地名が多いところだと思います。
『立売堀』これは『いたちぼり』
『喜連瓜破』これは『きれうりわり』
他にもいろいろ。
さて、この十三は大阪市の淀川区の南西部にあります。
私たちはバスに乗って十三に向かいました。
みたらし団子が美味しい
十三にはみたらし団子が有名なお店があります。
『喜八洲』というお店です。
ここが本店。『喜八洲総本舗』と書いてあります。
1~2年くらい前に、大阪ローカルのテレビ番組で取り上げられていたのを見たことがありました。
団子は真ん丸ではなくて、細めの俵型。
そして、注文を受けてから、直火であぶって、香ばしい焦げ目をつけてくれます。焼き加減も聞いてくれます。
そこを、たれのたっぷり入った深い容器に「たぷうん」とつけてくれて、持ち帰りの箱にもたっぷりとたれを入れてくれます。
ね、美味しそうでしょ?美味しいです!
包装してくれるおねえさんのスピードが速いのも有名で、あっという間に包んで紐掛けしてくれるのをテレビで紹介されていましたが、今回5本だけだったので、紐掛けは無しでした。
ここは酒饅頭も有名なようですが、私は『ぼた餅』という言葉にひきつけられて『ぼた餅』も2個、お買い上げしてしまいました。
十三トミータウンの戦後の復興と火災からの立ち直り
『喜八洲本店』を出ると、道を挟んで斜め前に何やらオブジェが。
銘板には『十三駅前は、昭和二十六年六月七日の大空襲により一面焼け野原になりました。戦後、大阪の復興と街を立ち直らせようとして、多くの人達が集い、賑やかな街になりましたが、「ションベン横丁」と呼ばれていました。
その後、地域の商店街が中心となり美化活動に取り組み、良い環境となりましたが、その名前が愛称として残り、皆様に愛される十三として発展しました。
「見返りトミー君」をシンボルとして、このような街の歴史を末永く記録し、ここの十三の発展を祈願します。』とあります。
空襲から立ち直り、賑やかな街になったのですね。
ところが、十三で数年前に火事になったことがありました。私は大阪に来て1年くらい?だったかな。十三の場所や、どんなところなのはまだ知りませんでした。職場の人が大騒ぎしていたのを覚えています。
駅からも近いトミータウンの通称『しょんべん横丁』で36店舗が燃えてしまったのでした。空襲から復興して、みんなに愛されていたお店が多く、とても残念なことになってしまいました。
戦後からの古くからの飲食店街だったので、再興するには道路幅を拡張しなければならない法規制もあり、大変だったようです。その後2年半で少しづつ再興したようです。がんばれトミータウン!
波平通り?改名された?十三駅前西商店街
さて、バスの時間がまだ少しあったので
ぽーさんがバス停の先へ歩いて行って、
「あれ?おかしいなぁ、波平通りだったんだけど」
とつぶやいています。
聞けば、その通りは以前は『波平通り』という名前だったのだそうです。
そう、あのサザエさんのお父さん。
見上げると街灯に『十三駅前西商店街』の文字…の上に『WEST13』と書かれたもくもくした雲のような部分にうっすらとアトムのようなシルエットが。
バスを待つ間にググってみると・・・
『鉄腕波平』なるものの画像が。
どうやら、鉄腕アトムの姿で顔だけ波平のキャラクターがいたようですが、このご時世、著作権の関係でダメになったようです。
が、ダメなら上からかぶせて隠してしまえばいいじゃん的な発想にクスリと笑ってしまった私でした。
大阪のこういうところが好きかなぁと思います。メソメソしてない、たくましさ。
花ぼた餅と日本の言葉文化
喜八洲総本舗でみたらし団子と一緒に買った、ぼた餅。家に帰って包みを開けると箱に『花ぼた餅』と書いてあります。
中には印刷された
「ぼた餅の ふる里の味 春の風」の言葉が。
今は夏なんですが、こういう言葉を読みながら食べるぼた餅は、なんだかほっこりとしてしまいます。また、来年の春に食べたいですね。
春は「ぼた餅」秋は「おはぎ」、日本人の繊細な言葉の使い方は何とも言えない文化ですね。あんこの甘さは控えめで、なかのご飯は細かめにつかれていて、ほんのり塩味がきいていました。
十三はリーズナブルな飲食店も多いところです。大阪の下町の雰囲気が味わいたい方はぜひ、行ってみてください。私もまた、ゆっくり行きたいと思います。