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大阪暮らし ぼちぼちいこか

大阪に住み始めて7年めのきーちゃんが綴る大阪での日々のことあれこれです。

サムハラ神社と神社好き

筥崎宮(福岡)と神社好き

 神社が好きです。信心深いというわけではありませんが、おそらく、物心ついた時から近くに筥崎宮という神社があったこと、祖母が信心深かったことから来ているのかもしれません。

 筥崎宮は八幡宮で「筥崎八幡宮」とも呼び、福岡市東区箱崎にあります。

地名のはこざきは「箱崎」ですが「筥崎宮」はこの字で「はこざきぐう」と読みます。今、調べたら地名が「箱崎」になったのは、同じ「筥崎」を使うと八幡神に恐れ多いから、らしいです。50数年生きてきて、初めて知りました。小さいころから、なんで漢字が違うのかは謎でしたから、箱崎を離れて、ずいぶん経っての謎解明です。

 近隣に住んでいた私にとっては「おみやさん」として親しみ深い存在でしたから境内で遊んだり、ハトにエサをやったり、参道で自転車の練習をしたり、身近な存在でした。福岡を離れて、改めて調べて三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡説もあります)の一つとか出てくると、「うひゃ~、失礼いたしました」という気分になります。

 楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられています。元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願したものだそうです。

 神社には八幡宮、天満宮、東照宮、稲荷などがありますが、御祭神によって違います。なんの神様をお祀りしているかで違うのですね。

 八幡宮は武運の神とされる八幡神を、天満宮は学問の神とされる菅原道真公を、東照宮は徳川家康公を、稲荷は五穀豊穣を司る、農業の神である稲荷神をお祀りしています。

 筥崎宮は八幡宮ですから武運の神様、「敵国降伏」の勇ましい扁額もなるほどですね。

 いまだにお汐井砂を、福岡に住む息子の帰省時に頂いてもらい、外出時に身につけています。

 お汐井てぼを玄関に置こうとしたら、ぽーさんに止められました。

 これがお汐井砂を入れておく、お汐井てぼです。

お汐井てぼ 籠

 ぽーさんからすると見たことない謎の宗教物みたいに思えたのかもしれません。今、お汐井てぼは玄関の内側に隠しています。この習慣を知らない人からすれば、外出時にお汐井砂をかけまくる私はまさに、砂かけばばあでゴザイマス。

普通に歩いていても神社や歴史とつながれる

 大阪に来て八幡宮を探しているときに大阪は天満宮が多いような気がしました。土地柄でしょうか?『大阪天満宮』は「天満の天神さん」と親しまれています。

osakatemmangu.or.jp

これは大阪天満宮の、鷽替え神事のときの謎のゆるキャラ。梅と鶯がモチーフ?

大阪天満宮境内の2体のゆるキャラと参拝客

 住んでいる福島区にも『福島天満宮』があります。初詣には『福島天満宮』へお参りさせてもらっています。

 年末には少し足をのばして京都の『石清水八幡宮』へ。お札を納めて、新しいお札を頂いて玄関の上へ貼っています。

 ぽーさんに連れられて大阪市立中央図書館に行った時には図書館の裏手に『土佐稲荷神社』がありました。ここは三菱の創業者『岩崎彌太郎』とつながりのある神社です。

 また、蔵屋敷のことを知って、久留米藩のお祀りしていた水天宮が『露天神社』(通称お初天神)にあると知って、北区曽根崎へ。ここは近松門左衛門の人形浄瑠璃『曽根崎心中』の舞台となった神社です。

 中之島の堂島川側の対岸には大阪朝日放送のビルがありますがそこには福沢諭吉の記念碑があります。

福沢諭吉生誕地の碑

 大阪にはそこかしこに歴史に出てくる人物や出来事に由来する場所があります。

 さてさて、ある日、ぽーさんに連れられて、市内を歩いていた私は、毎度のことながら、どこに連れて来られたんだろうと、キョロキョロしていました。そんな私の目の前に「サムハラ神社」と書かれた看板があらわれました。けれど、そこはぽーさんの目指す場所ではなかったので、スルーされてしまいました。

 カタカナで「サムハラ」と書かれた神社はとても珍しく思えました。が、それからしばらくはすっかり忘れていました。

  そうして、昨日、ふと思い出した私は気になっていたけれど、行っていなかった神社『サムハラ神社』に行ってきました。

サムハラ神社

サムハラ神社看板

 これが、以前から気になっていた看板。『サムハラ神社』とカタカナで書いていますが、本当は神字で書きますがUnicodeにはないようなので、パソコンではカタカナで表記します。ホントはこんな字です。

サムハラの神字

『サムハラ神社』は立売堀にあります。我が家からはバスで行くこともできましたが、時刻表を見ると次のバスまで20分くらいありましたので、歩いていきました。

 てくてくと、中之島を過ぎて歩いていく途中、土佐堀の交差点に『宮武外骨ゆかりの地』の碑がありました。

宮武外骨ゆかりの地と書かれた石碑

 誰なのでしょう?「がいこつ」とはすごい名前です。隣に説明がありましたが草が茂っていて読めなかったので、家に帰ってから調べることに。

伸びた草に覆われそうな宮武外骨ゆかりの地の案内板

 『宮武外骨』は本名『宮武亀四郎』というジャーナリストのようです。幼名が亀四郎だったので、亀の外骨内肉にちなみ外骨と改名したようです。その後、「がいこつ」を「とぼね」と読むようにしたようです。「みやたけとぼね」と読むのですね。

 また、調べてみたいと思います。なんか、どんどん知りたいことが増えていくような気がする…。

 

 土佐堀を過ぎて、サムハラ神社を目指しますが、途中になぜか、青ポストだけがぽつんと立っていたりして、気になる。最近、青いポストもあまり見なくなりました。相棒の赤いポストはどこへ行ったんでしょうね。

速達郵便の青いポスト

 やっと着きました。『サムハラ神社』です。

サムハラ神社の石の鳥居

 鳥居の脇には石碑があります。

サムハラ神社と刻まれたしめ縄のかかった石碑

 石碑の脇には御祭神と例祭の案内が。

サムハラ神社案内板

 鳥居をくぐって、左の手水所で手を洗って、口をすすぎ、さっそくお参りを。

サムハラ神社本殿

 こじんまりとした静かな神社です。本殿と社務所と休憩所だけです。

 お参りが済んだら、社務所でお守りを頂いて、帰ります。帰ろうとするとさっきまで静かだった神社へわらわらとお参りの人が来られていました。

 家に帰ってお守りを開けてみます。

サムハラ神社の銭形お守り

 神社の案内を書いた紙とお守りが入っています。これは銭形肌守りで1000円御収めします。赤い紙には無傷 安全  無病 息災 延命 長寿の字、裏には『心はマルクいつも笑顔で親切に』と書いてあります。お守りの入っている袋は朱に金の織で神字のサムハラの文字が。中の銭形にもサムハラの神字と無傷 無病の文字と恵比須さん?でしょうか?神様の顔と「守」の文字があります。

 実はひとつ気になっていたことがあるのです。ここの神様は誰なのか?そう、神社は八幡様とか天神様とかのお祀りしている神様がいらっしゃるのですが(八幡様は応神天皇、天満宮は菅原道真とか)サムハラ神社の御祭神はどなたなのか?

 入り口わきの掲示板の一番大きく書かれている神様は「天御中主大神サムハラ神霊」とあります。

 お守りの中に入っていた案内には『「天御中主大神」「高皇産霊大神」「神皇産霊大神」の天地初発の時に必ず成りませる三柱の神様を主祭神としてお祀り申し上げております。』と書かれています。

 その後に続く文章には『その御神名の通り、この万象の中心に坐す神様と、有形無形のあらゆるものを生み、むすび、調える力の源たる産霊の力の象徴である神様を併せて造化の三神と申し上げ、お祀りする当神社では総称してサムハラ大神と申しております。』とあります。

 んん?神様とこの世を産み出した神様?

どうやら、古事記に出てくる「アメノミナカヌシ」と「タカミムスビ」と「カミムスビ」のことのようです。真っ暗な何も無かった世界に最初に現れて、この世界を、神々も含めて造った神様なのですね。この三神を合わせてサムハラ大神としているのですね。

「サムハラ」はサンスクリット語から来ているらしいです。

 調べてみると、田中富三郎という信心深い人が昭和35年に中之島に自費で建立し、37年に今ある立売堀へ移ったようです。

 日本によくある天神や八幡、稲荷とはちょっと違った独特な神社でした。